なぜガイドラインがつくられたのか
2019年10月の令和元年東日本台風(台風第19号)では、大雨にともなう内水氾濫により、首都圏の高層マンションの地下に設置されていた高圧受変電設備が冠水して停電し、エレベーターや給水設備などのライフラインが一定期間使えなくなる被害が発生しました。
この被害を受けて、国土交通省と経済産業省は2019年11月に学識経験者・業界団体からなる検討会を設置し、2020年6月に「建築物における電気設備の浸水対策ガイドライン」を取りまとめました。洪水・内水・高潮などの発生時にも建物の機能継続(居住継続・使用継続)を確保するため、電気設備の浸水対策の考え方と具体例を示したものです。
誰が・どの建物で・どの設備を対象にするか
| 対象建築物 | 洪水等の発生時に機能継続が必要と考えられる建築物。マンション、オフィスビル、病院など。新築・既存の両方が対象。 |
|---|---|
| 対象となる電気設備 | 受変電設備、自家発電設備、分電盤・制御盤、幹線、エレベーター・給排水ポンプ等の電動機設備など、建物の機能維持に必要な電気設備。 |
| 関係者の役割 | 建築主・所有者・管理者が設定浸水規模と目標水準を決め、設計者・施工者・電気設備関係者が対策の企画・設計・管理運用を担う。発災時の対応は関係者間で事前に調整しておく。 |
ポイントは、対策の水準を決めるのは建物の所有者・管理者だということです。「どの程度の洪水まで、建物のどの機能を守るか」を決めないと、止水板の高さも電気室の扉の仕様も決まりません。
STEP 1|浸水リスクを調査する
ガイドラインは、対象建築物の敷地について次の情報を調査するよう求めています。
- 国土交通大臣・都道府県知事・市町村が指定・公表する浸水想定区域(想定浸水深、浸水継続時間など)
- 市町村が公表するハザードマップ(洪水・内水・高潮)
- 地形図や実測から、周辺より低いと判断される窪地等の地形情報
- 過去最大降雨や浸水実績、その他の関連情報(必要に応じて市町村の治水担当課に照会)
注意したいのは、洪水浸水想定区域図には「想定最大規模(おおむね1000年に1度の降雨)」と「計画規模(国管理河川で100〜200年に1度の降雨)」の2種類があることです。ハザードマップの多くは想定最大規模を前提にしているため、そのまま止水高に採用すると対策が過大になり、実現できないケースがあります。ガイドラインも、建物の用途を勘案しつつ計画規模や浸水実績を調べ、一般的な建物の使用期間に経験しうる浸水深を把握して目標水準を設定する考え方を示しています。
STEP 2|設定浸水規模と目標水準を決める
調査結果をもとに、建物ごとに「設定浸水規模(どの規模の洪水を想定するか)」と「目標水準(その洪水時にどの機能をどこまで維持するか)」を設定します。例えば次のような整理です。
| 目標水準の例 | 守る機能 | 必要になる対策の例 |
|---|---|---|
| 浸水時も居住・使用を継続する | 受変電設備、非常用発電機、エレベーター、給水ポンプ | 電気設備の上階設置、または水防ライン+電気室の防水区画 |
| 浸水後に早期復旧できるようにする | 受変電設備の応急復旧 | 連絡体制図・設備図面の整備、予備品・可搬型発電機の接続準備 |
| 在館者の安全と最低限の支援を確保する | 非常用照明、情報提供、備蓄 | 非常用電源の運用計画、備蓄品、在館者支援の手順 |
STEP 3|浸水対策を選ぶ(3つの層で考える)
ガイドラインが示す具体的な取組は、大きく3つの層に整理できます。
① 浸水リスクの低い場所へ電気設備を設置する
設定浸水深に照らして十分な高さのある位置(上階や屋上、嵩上げした区画)に受変電設備・発電機を設置する方法です。最も確実ですが、建物計画への影響が大きく、既存建物では移設スペースや工事規模の面で難しいことが多い対策です。
② 建物への浸水を防ぐ「水防ライン」を設定する
建物の外周や敷地を囲むように水防ラインを設定し、ライン上のすべての浸水経路に止水措置を講じて、ラインの内側への浸水を防ぎます。浸水経路は出入口だけではありません。
- 出入口等:出入口床面の嵩上げ(マウンドアップ)、設定浸水深以上の高さの止水板、防水扉の設置。地下駐車場の車路、階段、エレベーター乗場が代表的な経路です。
- からぼり・換気口等の開口部:空調・換気の換気口、排水設備の通気管などは高い位置へ移設するなどの対策を検討。
- 排水・貯留設備の逆流・溢水:下水道からの逆流には、貯留槽からポンプアップして排水する構造にする、排水設備の立上りやバルブで逆流を防ぐ。建物内の貯留槽が満水になって溢れるリスクにも溢水防止・逆流防止措置を講じる。
止水板・防水扉には、非常時のみ取り付ける脱着型(脱着式止水板、止水シート)、床や側壁に収納して開閉する開口部設置型(起伏式・浮力式・スイング式・スライディング式)、開口部全体を塞ぐ防水扉・防水シャッター、普段は建具として使う建具型があります。脱着型は保管場所と設置の講習が必要、開口部設置型は落ち葉などによる動作障害に備えた定期清掃・点検が必要、といった留意点も示されています。なお、浸水防止用設備の性能はJIS A 4716で漏水量などの等級が規定されており、製品比較の目安になります。
③ 水防ラインの内側で電気設備への浸水を防ぐ
水防ラインを越える浸水や、ライン内に降った雨の滞留に備え、電気設備の区画そのものを守る対策です。
- 区画レベル:電気室の出入口に防水扉を設置し、電源引込み口・配管貫通部などの開口部に止水処理材を充填して防水区画を形成する。
- 電気設備側:設置場所の嵩上げ、耐水性の高い機器の採用。
- 浸水量の低減:ライン内の雨水を貯留・排水する設備を設ける。
既存建築物で後付けする場合の考え方
ガイドラインは既存建築物について、電気設備の移設や嵩上げには制約条件が多いことを前提に、制約を十分に把握したうえで止水板・防水扉などの浸水防止対策を組み合わせることを求めています。実務では次の順序で検討すると現実的です。
- 浸水経路の棚卸し:地下車路、外階段、エレベーター乗場、通用口、換気口、排水管の逆流経路をすべてリストにする。
- 設定浸水深の決定:想定最大規模と計画規模・浸水実績の両方を確認し、実現可能な止水高を決める。
- 水防ラインの設計:経路ごとに止水板(脱着式・起伏式)、防水扉、嵩上げのどれが適するかを、通行頻度・バリアフリー・操作人員から選ぶ。
- 電気室の防水区画化:電気室・機械室の扉を防水扉に更新し、貫通部を止水処理。
- 運用の仕組み:誰が・いつ・どの順で止水板を設置するかのタイムライン、保管場所、年1回の作動点検と設置訓練。
ガイドラインの事例集には、集中豪雨の際に管理員が止水板保管場所の鍵を持ったまま帰宅してしまい、止水板を設置できずに1階が冠水してエレベーターが故障した分譲マンションの例が紹介されています。この管理組合はその後、管理会社と協働で止水板の設置体制と訓練を整えました。設備を買うだけでなく、設置できる体制まで含めて「対策」だということが分かる事例です。

浸水してしまったときの早期復旧
対策をしても想定を超える浸水は起こりえます。ガイドラインは「電気設備が浸水した場合の具体的な取組」として、平時と発災時の両方を示しています。
平時の取組
- 連絡体制図の整備:電気主任技術者とその代務者、電気工事業者、一般送配電事業者、電気機器の施工業者、建物側の窓口。
- 設備関係図面の整備:配置図、各階平面図、単線結線図、電気機器図、配管系統図など。
発災時・発災後の流れ
- 電気設備関係者による点検・開閉器の開放などの安全処置のうえ、電気設備周辺の排水作業(所有者・管理者)
- 受変電設備の清掃・点検、再利用可否の判断と復旧方法の検討(電気工事業者・電気主任技術者)
- 応急措置のための手配・準備
- 復旧作業(組立・配線)
- 送電・停電解消(一般送配電事業者)
所要日数の目安は、1〜2で約2〜3日、3〜4で約2〜4日とされています。受変電設備は受注生産の場合があり、本復旧までにはさらに時間がかかることがあります。停電が長引くほど、エレベーター停止・断水・空調停止が在館者の生活や病院の診療に直結するため、非常用電源の運用計画(燃料の備蓄量、間欠運転、可搬型発電機の接続口)や、在館者の安否確認・備蓄品配布などの支援手順もあわせて定めておくことが推奨されています。
タイムラインで「誰が・いつ」を決める
止水板の設置や排水ポンプの準備には人手と時間がかかります。ガイドラインは、設計時から洪水等の発生前後までの対応を時系列(タイムライン)で整理し、関係者間で事前に確認しておくことを求めています。気象警報の段階で誰が集まり、どの順で止水板を設置し、いつ電気設備を停止するか。この計画がないと、設備があっても機能しません。
- 出典:国土交通省住宅局建築指導課・経済産業省産業保安グループ電力安全課「建築物における電気設備の浸水対策ガイドライン」(令和2年6月) PDF(国土交通省)/経済産業省 発表資料
- 参考:国土交通省水管理・国土保全局「地下街等における浸水防止用設備整備のガイドライン」(2016年)、JIS A 4716(浸水防止用設備 建具型・構成部材)
- 本記事はガイドラインの内容を要約・解説したものです。個別の建物の対策は、建物の状況と最新の公表資料をもとにご判断ください。